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Diary 2005

12/25/2005

新日曜美術館イサム・ノグチ。日本では「原爆を落としたアメリカ人」といわれ広島の慰霊碑を作れず、ワシントン・ニューヨークでは「真珠湾攻撃をした日本人」といわれ作品を置けなかった。そのエネルギーを作品「エナジー・ヴォイド」に込めた。
どこかに帰属することへの執着が強く、作品を通して人の役に立ちたいと思っていたそうだ。

12/04/2005

新日曜美術館リ・ウファン見る。
本人は東洋的・禅的といわれたらおしまいだと感じているそうだ。
自分がいつも疎外感にさいなまれていること、しかし、どこにも属さないから見えてくるものがあることを最後に語っていた。横浜美術館の展示でも、最後にそのようなテキストがあったのが記憶に残っている。

11/12/2005

リ・ウファン展@横浜美術館。余白の芸術。一目みて儒教的と感じる。
たまたま本人が学生をつれて巡回中だったのでついていくが、声が小さくて何を言ってるかわかりにくい。
石(自然)-鉄(産業社会)の拮抗。
白・黒の中間である灰色を使うのは東洋的。水墨画の世界。
灰色は自然にない色...
というようなことを言っていた。

10/30/2005

「後世に残る仕事」とは、どんなものだろう。その仕事をする人は、生きている間、世俗的に「ハッピー」であるか。

10/30/2005

高度成長期は、本当に皆が豊かになってたんだろうか。本当は違ったが、少なくともそういう幻想が持てたということだろうか。今は格差が拡大してるのだろうか。前から格差はあったが、「皆が同じ」という幻想が消えつつあるのか。その両方か。「クラス社会」は望ましいのだろうか。

10/30/2005

組織のパフォーマンスというのは、よくよく見るとそれぞれの社員が、自分の担当であろうとそうでなかろうと「気配り」とか「ちょっとした機転をきかせること」の積み重ねで成り立っている。ところが社員それぞれが短期的な目標設定と達成チェックのオンパレードで、余裕がなくなってくると、他人に対する気配りなどやらなくなり「それは自分のポイントを上げるものか」が判断基準になる。
日常生活でも、つねにコスト/ベネフィットを意識しないと生活できないような社会になってきていて、いつも選択と自己責任をせまられる。そこには短期的な損得の判断はあるが、それ以上のものがないような気がする。時間の感覚が短くなっている。「東洋的・儒教的」なるものから「アメリカ的」なるものへの変化といえるかもしれない...

10/02/2005

イサム・ノグチ展@東京都現代美術館。地球を彫刻する人。アメリカ国籍のため、広島原爆記念公園の慰霊碑を作れなかったそうだ。
エナジー・ヴォイド圧巻。単純さの中にある多様性。

07/30/2005

24日に、Ryuichi Sakamoto Tour 2005へ行った。戦メリで、ゼロ戦が撃ち落とされるイメージが、あの旋律にドラム付き(珍しい)で繰り返し打ち出される。60年前に海の藻屑と散った無名の魂に対する鎮魂歌のようだった。(映像製作者は、別にゼロ戦のつもりではなく、単に鳥が飛んでいるイメージをしていたかも知れない)
8月5日には、広島で原爆投下60周年のイベントに参加しNEWS23で放映されるらしい。

07/10/2005

今日は暑かった。
村上龍が先日news23にでていた。社会の格差が固定され、ダイナミックな階層移動が起きなくなっている、という話+新刊の話。坂本龍一のお父さんを偲ぶ会で、村上龍は筑紫氏に構想を話していたそうだ。
エクソダスの取材力はすごかった。JMMも継続している。個人的には、単行本よりも、それにまつわる取材ノートや対談集が面白い。

06/20/2005

「不安定化している社会をどうコントロールしていくか」という課題は、ニューエコノミーの影響を受ける先進国の人々の共通の課題となっている。
一つは、自己責任を強調し、規制緩和、自由の拡大、個人主義の確立によって乗り切ろうとする。ここには家族形態の選択の自由を強調する「革新派」も含まれる。
もう一つは、過去の「安心社会」の復活を主張するものである。地域社会や家族の共同性を目指したり、大きな政府を目指すなど、さまざまな主張が混在している。従来の左翼対右翼、保守対革新という対立軸は、ほとんど無関係となっている。
「希望格差社会」

06/20/2005

人それぞれ得手不得手があるように、自分を表現する方法もいろいろある。だけど、それは本来同等なものだと思います。ただ、言葉で論理立てたほうが、よりアカデミズムに通じるという利点はある。その世界で説得力をもって偉くなっていく人には言葉の表現力も必要になってくるのかも知れません
「子どもの頃、本当はこんなことを考えていた」

05/15/2005

今日もJMM。
「事故の核心にあるのは、専門職への尊敬を失った社会という問題です。過度の総合職重視…ただただ自分を殺し、相手の自尊心を計算しながら利害調整のできる「政治屋」が「コミュニケーション上手」とされ、寡黙な専門職は評価されなくなった。組合の衰退も一因。専門職の誇りを奪い、賃金カットと厳罰で締め付ければよいというものではない」
-JMM320「鉄道運転士と専門職」

03/28/2005

「…二極化する労働者の世界で、森永卓郎氏が「年収300万円の層」として表現する人々(転職が当たり前で会社への忠誠心から「自由」な人々)こそが…、この「豊かな世界」の中で、家族共同体からも封建的な共同体からも、もしかしたら民族や国家や「団結せよ万国のプロレタリアート」といった階級史観からも、しなやかに自由な、語の真の意味の「資本主義者」なのかも知れません。」
-JMM316「成果主義についてどう考えるか」

03/16/2005

希望格差社会(筑摩書房)買う。
自分が他人を見るとき、親の職業でみたり、とってる新聞でみたり、3世代同居してるかでみたりする。そうした環境が、ものの考え方や年寄りへの接し方に及ぼす影響は大きい気がする。
データが面白い。たとえば、2000年に結婚したのは75万組。できちゃった婚は15万組。離婚は29万組など。

02/13/2005

「後ろに進むことも出来ず、止まれば倒れる。人生是バイクの如し」
「第二子出産予定は何と1/4!」
「ようやく結婚するよ」
「相変わらずです」
---年賀状より