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Diary 2008

12/28/2008

昨日ipod classic購入。4Gのminiが容量不足になった。自動的に「ipod選択項目」というプレイリストができ、聴くものはそこに入れておけば問題なかったのだが、量販店のカードのポイントが22,000円分もたまっていたので思わず購入。音楽の他、写真も同期する。DVDもHandBrakeでエンコードして、数本いれてみる。
パッケージのシンプルさに驚く。CD-Rはなし、ヘッドホンのスポンジもついてない。

12/11/2008

他者からの承認。子どもも大人も老人も、これがある人は安定している。

12/10/2008

加藤周一氏が亡くなっていた。12/6の朝日新聞を読む。浅田彰氏がコメントしている。昔読んだ「日本人とは何か」「羊の歌」「頭の回転を良くする読書術」「居酒屋の加藤周一」などを思いだす。
朝日には、その後大江健三郎が寄せた記事もあり。

12/07/2008

ThinkPadのHDD換装。40GBから160GBへ。maxus computer upgradeに出そうとも考えたが、自力で再インストールすることに。あらかじめ作成しておいたCD-R8枚でOSの再インストールをして工場出荷時の状態にした。アプリの再インストール、データのリストアは今後少しずつ行うことにする。

10/17/2008

岩井克人@朝日新聞。世界恐慌後、ケインズ政策の成功からアメリカは大きな政府になったが、60年代はその弊害から、マネタリストのフリードマンを中心とする新古典派が理論的に小さな政府を目指した。それは80年代のレーガノミクス、サッチャリズムで実践されたが、さらに推し進めた現在、金融恐慌が起こり「新古典派の理想郷をつくる壮大な実験は破綻した」。
この先は、危機のたびに資金注入・規制などで国家がパッチワークをしていくしかない、という話。
それとの関連で、先日ノーベル経済学賞の受賞者一覧が載っていたが、その時々の(主にアメリカの)政策を反映しているという印象だった。

10/01/2008

月刊PLAYBOY11月号(ピカソ特集と大竹伸朗インタビュー)買う。この雑誌も2009年1月号で廃刊。月刊誌冬の時代。

08/20/2008

福島県の病院での医療事故で、一審で産科医に無罪判決。JMMでこのところ特集していた。遺族の心情を察しつつも、医療行為が萎縮しない判決として、良かったのではないかと個人的には思う。
JMMでは、医療の世界に司法を持ち込むことがそもそも無理、のような投稿があった。医療の対応=原因究明(→再発防止のため)に対し、司法の対応=刑事責任の有無を問うことであるからだ。刑事責任の有無を問おうとすれば、治療情報は開示されない方向に向かう。また、ほとんどすべての医療行為はリスクを伴うため、いちいち司法が介入することになっていては医者が萎縮する。現にこの裁判がきっかけで産科がなくなったケースが多いそうだ。

この裁判で連想するのは、このところの企業や自治体の「欠陥製品」「誤処理」にともなう記者発表の多さだ。よくよく調べてみると、たとえば製品の「欠陥」は、実は「仕様」で、消費者の利用法がむちゃだったりするんじゃないか。それらの処分が社員を萎縮させていないか。処分する側の世界とされる側の世界って、それこそ「司法」と「医療」のように、そもそも相容れないものじゃないのか、ということだ。
それとも、それらのマスコミ発表って別の目的があったりするのだろうか。
個別の経緯はいろいろあると思うが、要は社会を壊そうとしているのか、改善しようとしているのか、ということ。それがいつも気になる。

08/18/2008

-外国メディアの批判的報道をどう思うか
「気にとめない。芸術の創作上のことで小さなことを意図的に拡大するのはよくない。」

08/08/2008

北京オリンピック開会式みる。チャン・イーモウ総指揮。圧巻。
ルネサンスの3大発明のうち、火薬・羅針盤は中国から伝わったのものだった。

08/03/2008

『労働組合を掌握できるという自信を持っていらしたわけですか?』
 『…そういうことでしょう』
『それは、…ネゴシエーターとしての能力に自信があったとうことですか。』
 『いえ、おそらく階級意識が欠落していたんでしょうね』
「ポスト消費社会のゆくえ」

06/13/2008

《石が思うような割れ方をしなかったりしたとき、それがけっして悲観すべきことではないと受け取るようになってきた。思うとおりにいかないときは、自然の力にさからったときだからだ。石に耳を傾けるのではなく、ぼくが我を通そうとしたからだ。》
「イサム・ノグチ 宿命の越境者」


06/01/2008

録画しておいたNHKのグールド特集をみる。動いているグールドをこんなに見たのは初めてだった。死ぬ直前のゴールドベルク録音の様子は泣けた。バッハの美しさを、若き日の演奏技術におぼれた録音に甘んじず、もう一度録音したのだ。
ナビゲータの宮澤淳一氏が、本当にグールドに興味があるのだという感じがにじみ出ていて、見ていて楽しい特集だった。

05/31/2008

堤清二・上野千鶴子「ポスト消費社会のゆくえ」買う。

05/19/2008

YAMAHA + 岩井俊雄 tenori-on日本発売が決定したそうだ。また物欲がそそられるが、あまりの人気に注文受付サイトがパンクしたようだ。
2001年の青山での作品展「PHOTON~光の音楽」展を思いだす。楽しく知的な遊具が満載だった。そこではtenori-onのプロトタイプともいえる光のチェスがすでに体験できた。数学と音楽ときれいな映像が一体となって、飽きさせなかった。

04/12/2008

「『教師を変えるのは難しい』と判断したのだろう。教師は多忙だし、自分のスタイルや文化を持っていて企業のように上意下達では変わらない。だから人的資源を外部に求めた。現実的な対応だ。…学校を変えることと教師を変えることの違いが浮き彫りになるやり方だったといえる」
-苅谷剛彦・東大教授がみる「改革」(4/12朝日新聞)
変わらなかった奴は逃げきった。変わった奴はお疲れさん、てとこか。

04/04/2008

浅田彰、京都造形芸術大学院長に就任。高階秀爾の後任。95年頃、雑誌intercommunicationで、美術館はハイテクで器だけ作ってもだめで、人の手による長年の収蔵品の蓄積が必要といった対談を2人でしていた。浅田氏は、高階氏のようなエスタブリッシュメント?とも対談するのだ、と思った。

公共美術館も指定管理者制度を取り入れ、収益をあげる必要にせまられている現在こそ、読むべき内容だったような気がする。つまり美術館にしても、図書館にしても、歴史に耐えるライブラリにするのか、売れ線を置くショップにするのかという問題。

03/12/2008

HASYMOの昨年のライブDVD買う。ENGINE4月号のYMO時代のエピソードを読んで、DVD中でドラムをたたく教授を見ると思わず涙ぐんでしまう。

02/03/2008

雪。

01/23/2008

横浜で初雪。寒い。

01/17/2008

NEWS STATIONで、フランスでは婚外子を認めることで出生率が上昇したというニュースをやっていた。出生率低下のトピックで、フランスの話はたびたび触れられる。
新自由主義的なコスト削減の流れの中で、防災・福祉について公共部門がすべて面倒をみることが難しくなりつつあり、地域・家族に回帰することでフォローしようとする。
一方で、経済発展を目指し出生率を上げるためなら、従来の家族観を変えていく。
保守対革新という構図は、もはや成り立たなくなっている。

01/12/2008

NHKドラマ「感染爆発」みる。骨太のドラマで面白かった。昨年「ハゲタカ」も欠かさず見ていた。NHKドラマはCMが無いので、集中できてよい。

01/06/2008

朝日新聞で加藤周一と上野千鶴子の対談を読む。
健康保険さえ皆保険にならない国もある中、介護保険も皆保険でできたのは画期的だった。成功するかどうか、各国が見守っている。
介護保険は、儒教的な価値観の崩壊を穴埋めするシステムとして機能している。明治以来、介護は儒教的家族制度の中で行うものだったが、そうでない形で介護を組織化した=政府が儒教的家族主義の破綻を認めた、という話。