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Diary 2018

2018/09/20 池澤夏樹「終わりと始まり2.0」

読み終える。
「資本主義と民主主義という2つの原理の間にどうしようもない矛盾がある。民主主義は権利や富が万民に行き渡ることを目指す。資本主義は富の集中と蓄積を旨とする。ベクトルが逆なのだ」

最後に、シンボルスカの詩(沼野充義 訳)。


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ポール・ヴィリリオ氏が亡くなった。



2018/09/08 NHK「よみがえる藤田嗣治~天才画家の素顔」

みる。

美術手帖8月増刊号とあわせてみると、理解が深まる気がする。
戦後すぐではなく、時間がたった今になってやっと、生涯にわたる冷静な評価が可能になったのではと感じた。

BGMに、revenantサウンドトラックから数曲使われていた。




2018/09/07 ipod classic フラッシュメモリー化

hdd経年劣化で読み出しできくなり、フラッシュメモリーに交換。業者から届く。
容量は160GB → 256GBに。読み出し速度は速く、重量は軽くなった。

classicはホイールボタンが使いやすいし、ミニコンポやカーステレオとの接続の相性がよく、まだまだ使いたいと思っていたので良かった。



2018/08/18 没後50年 藤田嗣治展

東京都美術館へ。お盆のUターンラッシュの土曜日。

混んでいるが、会場内はゆっくりと客が進んでおり、我慢して回れるぎりぎりの感じ。
点数が多く、珍しく途中で座ってしまった
美術手帖8月号増刊買う。林洋子氏のインタビューから読む。

10月19日からは京都でやるようだ。

tumblr




2018/07/13 Ryuichi Sakamoto and Stephen Nomura Schible

6/24に配信されていたインタビューを聴く。以下の部分が興味深かった(46分あたりから)
「40年間、色んな国で様々なミュージシャンと仕事をしてきたが、一つの結論に達したのは、いつもtake1がbestということ。ベンヤミンの”アウラ”という言葉があるが、takeを重ねると、最初のエネルギーであるアウラが逃げてしまう」





2018/07/09 Stephen Kovacevich スティーヴン・コヴァセヴィッチ

「ベートーヴェン:ディアベッリ変奏曲、バッハ:パルティータ第4番」届く。
アルゲリッチの映画「私こそ、音楽!」(Bloody Daughter)のエンドロール「パルティータ第4番 allemand」から聴く。





2018/07/05 ここ数年、たまに思い出す高校教師の言葉

「『XX式』みたいな行事はくだらない。しかしどこがどうくだらないのかを確認するために必ず参加するように」

「人間は、何も考えなければ、ただ食って寝て交尾する水とカルシウムとタンパク質でできた有機体だ」





2018/06/23 アルゲリッチ「私こそ、音楽!」(原題“Bloody Daughter”)

見る。昔wowowで録画しておいたもの。
エンドロールのバッハのパルティータ4番 Allemande(演奏:コヴァセヴィッチ)を、どうしても持っておきたくてポチる。





2018/04/29 「高校生と考える希望のための教科書

桐光学園大学訪問授業」読んでいる。坂本龍一が桐光学園で訪問授業をやると知った頃、講義録がでないかな~と思っていたが、本にまとまって良かった。しかも、他の講師陣も豪華!

坂本龍一、高橋悠治、李禹煥(リ・ウファン Lee U-Fan)、玄田有史、谷川俊太郎、沼野充義(最近知った「ソラリス」原作の翻訳者。solariつながりで...)をまず読んでみた。


李禹煥の話も面白かった。ヨーロッパで石膏デッサンが生まれたのは、ヘラクレス像やヴィーナス像をとおしてイデア的な理想の男性・女性像を想像するからだが、日本人や韓国人が同じことをやっても単に石膏像をなぞるだけになってしまう、という部分。
東洋人がピアノやバイオリンをやるのも、もしかしたら石膏デッサンと似たような状態なのかも知れない。

坂本龍一は、asyncは李禹煥から影響を受けたと言っていた。asyncは音楽版「もの派」と言えるかもしれない。

高校生と考える希望のための教科書 桐光学園大学訪問授業

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2005年の横浜美術館での李禹煥展は、一目みて儒教的と感じた。
たまたま本人が学生をつれて巡回中だった。

 石(自然)-鉄(産業社会)の拮抗。
 白・黒の中間である灰色を使うのは東洋的。水墨画の世界。
 灰色は自然にない色...

というようなことを言っていた。





2018/04/28 羽田空港

フォトセット




2018/04/22 NHK「100分deメディア論」再放送

昨夜の録画を興味深く見る。

100分de名著スペシャル「100分deメディア論」



2018/03/31 WIRED日本版 別冊 Ryuichi Sakamoto on async

読み終える。教授が作曲を勉強していた学生時代、まわりから「歌ってみて」といわれ、『ハーモニーを作っているのだから歌えない』と返していた逸話(p.105)。同じ話が「音楽機械論」文庫版あとがきにもあり。

80年代の教授の曲は、同一の曲がシンセver.とピアノver.で違う曲かと思うほど印象が異なるものがある。前者はメロディがはっきりしているが、後者は、例えばサウンドストリートで放送されたphoto musik、tong pooは、メロディよりハーモニーの変遷を美しく聴かせていた。





2018/03/30 今週は

花粉がつらかった...




2018/03/21 昨日から寒さ

戻る。今日は雪。三寒四温。





2018/03/03 披露宴

久しぶりに結婚式と披露宴に出席。
映像隊が充実していた。





2018/02/15 2つのインスタレーション

初台ICCへ。"坂本龍一 with 高谷史郎 設置音楽2 IS YOUR TIME"。
東日本震災で被災したピアノが、世界の地震を弾くインスタレーション。

演奏に世界の地震データを使っていると知り、即座に思い出したのが、世界の木の電位を音に変換していたYCAMのForest Symphony。

かつて坂本龍一は、「音楽には、絵画や彫刻のような自然の模倣がない」というようなことを言っていた。しかし、坂本龍一の音楽が"音響”へ変化してきた現在、両インスタレーションとも、ソロアルバムやサントラの延長線上で、自然を抽象化して再現していると感じた。
 Revenantもout of noiseも、アメリカの開拓地や北極地の厳しい自然を連想しながら改めて聴いてみると面白い(だいたい教授のアルバムは、買って何年か経った後も、スルメのように良さが出てくるのだ...)

JR原宿駅へでて歩き、表参道ヒルズで開催中の"waterstate 1"にも行ってみる。こちらもアジアの気候データを使っているらしく、自然の再現インスタレーション。


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龍一語彙 読み終える。様々な点で示唆に富むが、p.193「loser(敗者)」の項が記憶に残った。





2018/01/31 インフルエンザで「早めの受診」は間違い

JMM No.987 Extra-Edition 興味深く読む。

インフルが疑われたとき「早めの受診」を勧めていては、会社でも学校でも医療機関でもあっという間に感染が広がる
医療機関は、本来は肺炎や脳症等合併症が疑われるような、本当に重症な人に絞り込んで対応したい。早めの受診が必要なのは、喘息持ちの人、妊婦などで、それ以外の人は移動せず自宅療養が基本(保湿・休養・市販薬など)。
そうしないと、本当に治療が必要な人が治療を受けられないし、感染者が増え医療機関もパンクしてしまう。

学校や会社は誰かのお墨付きを待つのではなく自らの判断で休むという体勢を整えるべき...という話。





2018/01/26 HDDをSSDへ換装

Macbook pro を分解し、2.5インチHDDをSSDに換装。今月頭に発売されたCrucialの新製品が欲しかったが、人気なのか在庫切れで、SanDiskにした。数年前に比べ、だいぶ値下がりしている。
インストールにあたり、ターミナルでOSのインストール用USBメモリを作成したのは正解だった。

今のところ、まったく問題なし。
処理も早くなり、サクサク快適。



それにしてもSSDは薄くて軽い!厚さ7mmのプラ板みたいなものが、480GBのメモリ同様とは。
もっと大きなディスクが20MB(GBではない)だった時代から隔世の感あり。





2018/01/25 低所得者が高負担高福祉を支持しない

日本の福祉(=保険)制度は、高所得者から低所得者へ再分配されるようデザインされていないため、「充実」を謳っても低所得者から支持されない。

政治家にとっては、低所得者は福祉の充実を支持するはず、という前提が成り立たない。
低所得者は、現状の制度をよく認識しているともいえる...という話。
福祉の逆説 充実を支持する層は





2018/01/23 雪

昨日から。tumblr




2018/01/07 根本的な課題解決

「医療とか教育というのは『それがなくては共同体が存続しえない』本質的な制度ですから、最終的には現場にいる人たちが身体を張って守ります...
でも、それはほんとうに現場の人が命を削ってもたせているからもっているのであって、公的制度としてはもう破綻している。ブラック企業と同じでです。」

「僕は選択定年制で大学を5年早く辞めたのですが、最大の理由は会議と書類書きが受忍限度を超えたからです。」

「(教員の評価システムのような)意味がないとわかっていることでも、『文科省がやれと言ってきたから』というだけの理由でやる...問題はこの理不尽に大学人が「なじんでいる」ということだと思います。」

内田樹の研究室『大学教育は生き延びられるのか?』


こういうことは大学以外の組織にも散見されて、自分もこれまでどうにか仕事をしてきたが、いろんな課題の一つひとつに根本的な解決策を講じてきたわけではなく、どうにか「やり過ごしてきた」という仕事も多かった。「やり過ごす」にあたっては、「どれだけ理不尽なしわ寄せを自ら引き受けたか」が評価のバロメータになっている部分もあり(実際、『お前はやられっぱなしでいろ。俺は血尿がでるまで仕事をしたんだ』みたいな人間もいた)、後任にもそういう役割が期待されて、このやり方がいつまでも続くわけがないと思われる仕事もあった。


そうした課題にどれだけ解決策が講じられるか、自分が正しいと思うやり方をどこまで貫けるか。(という思考はいつものパターンであるが...)





2018/01/03 「子ども期に経験した競争のレベルは

世代によって大きく違います。こういう違いによって,人間形成にどういう差異が出てくるかは,興味ある課題です。」
とあるサイトの2年前のエッセイだが、興味深く読む。

舞田敏彦 大学受験の50年史