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Diary 1999

11/12/1999

映画「シュウシュウの季節」をみる。ラストエンペラーで有名な女優ジョアン・チェン初の監督作品。少女の悲恋のストーリーとして泣けるし、ジョアン・チェンによる陰の文革リポートとしてもみることができる。

10/21/1999

メーカーのフォーラム@帝国ホテル(!)せっかく近くにきたので、銀座まで歩いてみる。山野楽器にいく。久しぶりに煉瓦亭で夕御飯を食べた。伊東屋で2000年の手帳を買う。

10/04/1999

茨城県の放射線事故について。
まったく僕の推測だが、やはり現場と管理部門の乖離だと思う。
裏マニュアルがあったという。「表」マニュアルが実用に耐えないシロモノだったのかもしれない。そういう時、マニュアルを作り替える、というような現場からのフィードバックができない組織構造、人材の配置。そして問題が発生したときは、「マニュアルどおりにやらなかった現場の人間の責任」。
そのような事情が原因の一つだとしたら、こういった事故はあらゆるところで起こり得ると思う。

10/02/1999

先週は小学校に出張し、小学生と課外授業。グループごとに音環境マップの作成。あらかじめ区切ったエリア内で、約20個所、音の種類と音量を地図に落としていく。車の音や犬の吠え声、虫の声、竿竹屋、電車、エアコンの室外機、飛行機、ピアノ、パチンコ…。マリーシェイファーのサウンドスケープを連想。たまにはこのような仕事も良い。
小学生は4年生だとまだかわいい。子供は素直だ。音を計る器械にも好奇心をしめす。他人への思いやりもある。以前テレビで、「何かを学習し吸収するときは自分を開放してリラックスしていなければできない」といってたのを思い出す。特に語学や楽器の習得はそれが言えるだろう。大人になってからだと、身についたもろもろの価値観が原因で自分に壁ができてしまう。

09/14/1999

釧路→羽田へ。東京もまだ暑い。
久しぶりにメールチェック。電子メールをはじめて2年くらい経つが、まる4日ネットにつながなかったのは多分初めてだ。LIFE公演の期間中だったこともあり、sakamotoMLその他で、たまっていた数154通。

09/13/1999

10日から道央にきている。帯広、ワインの町池田、陸別。釧路まで足をのばす。今日は早起きし釧路湿原へ。朝9:30頃展望台へ。釧路へ戻る電車は12:20頃。大阪から北海道に就職試験にきていたという子と散歩する。今年の北海道は暑いらしい。昨日は帯広で30度。この時期でもTシャツでうろうろしている。釧路市内へ戻り、フィッシャーマンズワーフまで散歩。
「女医」最終回をホテルでみる。連続ドラマを欠かさず見続けたのは初めてだ。

09/09/1999

LIFE東京公演へ。西側の、かなり舞台に近い席。双眼鏡でオケを見る。ジャック・モーレンバウムはニット帽をかぶっている(あとで知ったが、つば付きハットで、ニット帽ではなかった)。チェロの後ろ側にはミキシングコンソール&ネット隊か。しきりに電話等をしている。
坂本龍一は長髪を後ろ側に流してパリパリに固めている。コンマス篠崎史紀に目配せするときは、こっちのほうを向くので、こちらの双眼鏡に気がついているのかと錯覚してしまう。レクイエムはマタイ受難曲を思い出させる。相変わらず、大事に、丁寧に弾いている。ダンスの映像のディレイ、コーラスのディレイはネットの遅れを利用したものか。
また後でコンセプトブックを読んでみよう。

09/04/1999

桜木町近くのイタリアン風レストランで4人で飲む。リラックスして飲める相手はそんなにいない。
インターコンチネンタルの向こう側の海側まで行き、クイーンズモールを抜けて戻ってきてランドマークでもう一軒。動く歩道で駅まで戻る。

08/15/1999

終戦記念日。この時期TVは終戦特集が多い。

トークショー「自分の食いぶちは自分で稼げ」に行く。垂れ幕が良い。教授、何とおもむろにワンカップを取り出すではないか。
「流行」は、はやり初めでも、誰かが誰かに伝えているので、既にディレイがある。本当に一番最初にでてくるのは、ひっそりと、いまどこかで、この瞬間(=エッジ)、という中島英樹氏の話。それに呼応し、「何かが生まれるのは現場」という教授。教授は「現場/事務」は今マイブームなのだそうだ。何かこのdiaryとシンクロしているようだ。

08/07/1999

昨日は暑気払い。「2次会に行かない」といったら、「何だよ、ウラBTTB!」といわれて爆笑。
今朝は6:30に起きて、最寄り駅まで父を見送り。多分もう最後の海外出張だろう。

村上龍対論集「存在の絶えがたきサルサ」を読む。
学生のとき、大江健三郎が講演にきた。まだノーベル賞をとる前の話だ。柄谷行人もきた。柄谷氏は「終焉をめぐって」の頃で、その話をしていた。ちょうど「ノルウェイの森」がベストセラーになってた頃で、2人とも村上春樹に言及した。大江氏は誉めていたが、何がどういいのかを誰かが翻訳してあげる必要がある、というようなことをいっていた。柄谷氏は、けなしていた。
僕は当時借りて読んだ。上下巻だったが、読み終わっての印象は、何も書いてなかった、ということ。学生運動とは何か関係があるようだ。雰囲気的にはなんとなく知的で洗練されているような印象もある。そうだ、柄谷氏の言うように、細かい数字や固有名詞の羅列が多い。しかし、当時の肝心なことが何も書かれていない。 このことについて、村上龍はやさしい。やはり、気遣いがある。しかし、あくまで冷徹に対論者の意見も引き出していく。そんなやり取りが読める。
教授との対談も面白い。しろうとの聴衆、しろうとの作り手にたいする苛立ちが見える。

07/17/1999

日本はせちがらい、といった人がいた。海外でも、日本人が集まると、大使・商社・銀行・マスコミ・メーカーとか序列がつくらしい。ぼけたオクサマ方がつけるんだろう。

07/16/1999

仕事は大きく分ければ管理部門と事業部門(=現場)とに分けられると思う。そこには労働者の意識の違いがある。数年前読んだ、柄谷行人「階級について-漱石試論」は、その辺り僕にとって示唆的だった。
当時、仕事でセクションごとの「上 /下」「やった/やられた」という意識ばかりで仕事が立ち行かないということを考えていた。こういう意識は、「地底」に変わって近代市民社会でできた、新たな差別というか区別みたいなものだろう。特に大企業や官僚組織では。本来の業務改善とかそんなこと実践する余裕がない。みな『日の当たらない部署』に行かないようするのが精一杯なのだ。
自分の生活と、自分が何をやりたいのか、どこまでできるのかと照らし合わせて、あまり閉じた価値観に捉われずビシバシやっていきたい。

06/27/1999

雨。梅雨らしい。windows98がやや重いので、95にバージョンダウンする。
再インストール。OS部分だけならCD-ROMで2時間くらいだが、その後の環境の復旧が面倒。特にIE5の「お気に入り」はsystemファイルらしく、バックアップをリストアしても認識してくれない。さんざん苦戦した挙げ句、ごみ箱に捨てたものを「元に戻す」でなぜか認識した。ふう。
軽くなった。フォルダの展開がさくさく快適になった。

06/14/1999

昨日録画しておいたNHK-BSの10周年特集を見る。岩井俊雄は昔NHKの「ようこそ先輩」みたいな番組に出ていた。これを録画せずに悔やんだが、今回のが録画できて満足。岩井氏の作品は光学のトリックを使い楽しませる。たとえば車のホイールが特定の光源のもとである回転数に達すると逆回転しているように見える、この原理をつかって、モノをまわすと様々な模様が出て来たり、円盤に立てた無数の人形が「どよどよ~」と移動しているように見える作品。原理はとてもプリミティヴで、それゆえか、忘れていた子供の頃の感覚を思い出させる。
岩井氏の原点もパラパラ漫画だった。今の小学生はパラパラ漫画やるのかなあ。
冒頭MPIXIPMのピアノが出てきたのには感動した。昔新宿のICCでみたことがあるが、間近でみても映像部分の解像度がかなり高く、きれいだった。

06/03/1999

上野のワシントンナショナルギャラリー展(都美術館)へ。『手紙を書く女』の黄色が光っていた。アムステルダムでみた『牛乳を注ぐ女』も黄色が光っていた。精養軒で昼ご飯。
薬局で今日から発売のリアップ発見。発毛剤ではなくシャンプー(\1,200)を買う。20代からの抜け毛予防。
末広町まで歩きWorkPad c3をみて帰る。

05/21/1999

「恋愛は潜在的に三角関係をはらんでいるとおもいます。かりに第三者が具体的な個人でなく、世間といった漠然としたものでも同様でしょう。たとえば、スターと結婚したがる男や女は、多くの他人の欲望の対象を所有したいのです。」
「われわれにとって直接的(無媒介的)であると見えるわれわれの意識・欲望が、すでに他者によって媒介されたものであること-われわれが何かをやってしまうのは『心』からではなくて、他者との関係によってである、ということがいわれているのです。」
柄谷行人「言葉と悲劇」より 漱石の多様性-『こゝろ』をめぐって

05/03/1999

NATOは、またバスを誤爆した。ユーゴは捕虜米兵を釈放した。
ユーゴの勝ちだ。

04/28/1999

立花隆、臓器ドナー登録したとのこと。「他の生物の栄養になるのが自然の摂理に従っているが、現代社会ではそれも難しいので、現代社会的な生命のサイクルに参加する」というような意向だった。氏が脳死判定基準に厳しいとしても、ドナー登録する行為自体は、それとは矛盾しないだろう。また「無意味な延命はしたくない」という意見には共感する。
このあいだの脳死判定に際しては、無呼吸テストを早くやった点から素人目には病院側や医師の勇み足という印象がある。しかし医学の世界では、脳死はさっさと認めて使える臓器は使うべき、というのが大きな流れらしい(医学的に臓器を必要とするケースが多く存在する)。
本人、遺族が十分な情報提供を受けた上での意思確認(カード登録)が必要だと思う。

04/24/1999

今日も雨。週末になると雨が降る。
organizer2000がどこも売り切れ。初出荷分は完売か?
Workpadも今欲しいもののひとつ。動作が軽い。モバイル時に、本当に必要な機能に特化してる。CE機や他社PDAに比べて価格も安い。

04/04/1999

今回の都知事選は少し面白い。僕は都民じゃないので選挙権はないが。候補者はそれぞれの組織で今まで仕事をしてきた人たち。しかし本当に現場を知っている人は誰か。
TV討論をみて、増添要一は介護体験を通して、自身でかなり細かい手続きに走り回った体験があるように思う。他の候補者は国連、国会でも、いわゆるエリートコースでは自分で細かい事務手続きはしないのだろう。自分で役所の窓口で面倒な思いをして問題点がわかるのかもしれない。職員削減については、現場を増やすといっていた。
自分で実際に動きまわった経験のある人が強いね。どんなことも。人を動かすだけじゃだめだ。
People who don't work with their hands are parasites.

03/22/1999

こどもについて。
親の教育方針自体、親の劣等感とか競争心に規定されてるんで、そんな親のもとでまともな子供が育つわけがない。昔家庭教師をやってて、その親と話をしたときに思った。
尊属殺人に重罰規定を設けても違憲ではないらしいが、弱者を救うという観点からは子供に酷な判例だ。子供の方が肉体も精神も弱いし逃げ出す経済力もないのに。
もうひとつは集中力の欠如。その一因はメディア。テレビゲームや多チャンネルケーブルテレビ、インターネットがなかった頃は、摂取する情報量はまだ少なく、もっとゆっくり集中して何かに取り組む時間があったはずだ。今は子供に限らず、人の関心事がひろく浅くなっていると思う。短時間で情報を取捨選択しなければならない。そういう意味では、インターネット教育なんかも、早ければ早いほど良いとも言えない。選択する能力=情報を切り捨てる能力が不完全なうちにやってしまうと。

03/18/1999

紀州の夏。紀州といえば中上健次。
中学のころ、朝日ジャーナルに「千年の愉楽」(「奇蹟」だったか?)が連載されてたとき、土臭く血なまぐさいが、どこか神聖な小説だなと思った。活字の背景にある写真がまた小説にぴったりだった。浅田彰風にいうと、「メタリック」だった。
家に「19歳の地図」他いくつか初期の中上作品があることに、その後気づいた。

02/11/1999

今日、横浜は雨→雪。
乾燥してた空気も少しは湿気を帯び、はやりのインフルエンザも衰退の兆し。
僕も休みこそしなかったが、風邪でずっとのどが痛かったり鼻声出したりしてた。

01/10/1999

「週刊ダイヤモンド」早春特別号に、日高敏隆、浅田彰、佐和隆光の3氏による「利己的遺伝子と市場経済の行方」という対談が掲載されていた。
ダーウィンの進化論やマルサスの人口論、アダム・スミスの「見えざる手」のような、自然に、自由に任せていれば、自然界の競争や戦争によって優れた遺伝子だけが残るようになっている、あるいは均衡に落ち着くのだという理論。三氏は、人間社会がこのとおりでよいとは言っていない。
環境問題は人口問題(=食糧問題)、医療・福祉政策の問題、先進国と発展途上国の(利害)関係とつながりあっている。 「途上国は政策能力が低いのだから、いまさら工業化してもしょうがないので二酸化炭素をだしてはいけない」という権利はだれにあるのか。では、だからといって放っておいてよいのか。
こういうものを読むと、世界の危機的状況に対して、知識人や芸術家ができることは何なのか、と考える。
あと、自分にできることはなんなのか。
とりあえず、今年の坂本オペラを楽しみにする。